2018.03.29

51期 ホームカミング同窓会報告

私達はこの3月で高校卒業30年を迎えました。

振り返ってみると紆余曲折、様々な事があったので、30年があっという間とは容易に言えませんが、光陰矢の如しとは、まさにこのような感覚なのでしょう。

雲ひとつない爽やかな空の下、3月3日に卒業式が行われ、私達30年前の卒業生もその卒業式に招待され、40名の同期が参加しました。麗澤高校ではこの日をホームカミングと呼んでいます。

私の父は銀行員だったのですが、小学3年生から中学を卒業するまで、社宅のあった千葉県習志野市に住んでいました。中学3年生の時に父がシンガポールに赴任する事になり、寮のある高校をいくつか検討した結果、柏市にある全寮制の麗澤高校に行く事にしたのです。私達が在籍していた頃は全寮制でしたが今は多くの通学生を受け入れており、全寮制ではありませんが、今でも学生寮はありその伝統は受け継がれています。

卒業式(正式には卒業証書授与式だった事も何故か新鮮に感じた)のプログラムの中で校長先生や学校関係者の祝辞も素晴らしかったのですが、在校生代表による送辞、卒業生代表による答辞は高校生とは思えない素晴らしい内容で私自身が大変感動しました。また、私達の期を代表して大井慎太郎君が来賓を代表して祝辞を述べる場面もあり感慨深いものがありました。

ここでその祝辞の一部を掲載させていただきます。

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今の私はといいますと滋賀でバラの切り花の生産をしています。いわゆる花を作る農家です。
農業の魅力はいろいろありますが、私が1番いいと思っているのが、自分の長所を活かし、自分に合った、自分らしいやり方でできることです。
ちょうど私が卒業したころまでは、花に限らず、作れば売れる時代でした。基準は単純で、いいものを作る人が評価されました。
今はいいものを作るだけで生き残れるのはごく一部の人です。販売方法を工夫する人、無農薬などこだわった作りをする人、珍しいものを作る人など、いろいろなタイプの人が成功しています。
私は作るのが好きで、珍しいもの、新しいものが好きなので、色や形、香りなど特徴があり、魅力を感じるバラをしっかり手をかけて作りこみ、提供することを目指しています。あまり知られていないバラの魅力を多くの方々に伝えるため日々努力しています。
農業と同じで、人の評価基準も30年前は単純で、成功のパターンがあったと思います。今はとても多様化していて、ある人がいいと思っても、ある人はピンとこない、結局自分がいいと思ったことを突き詰めていけばいいのかなと感じています。
皆さんにはたっぷり時間があります。高校を卒業した後は、今までと比べものにならないほどいろいろな選択肢があります。しっかり自分を向かい合い、ひとつに決めてやるのもよし、いろいろやるものよし、決めるのは君たちひとりひとりです。自分らしい選択ができるよう頑張ってください。

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また、このホームカミングで忘れてはならないのが、卒業式の後の会食です。
私達が卒業した時にもいただいたのですが、卒業式記念会食では「すき焼き」をいただく事になっています。そしてこの会食にも私達を招待してくれるのです。

卒業生や彼らの保護者、学校関係者に混じり、私達もすき焼きをいただきながら、懐かしい友と思い出話や近況話に花を咲かせました。

卒業式の後は、同期の皆で新しく増築された校舎や新しく建てられた寮の見学をしたり、先生方と歓談をして夕方には場所を変えてホームカミング同窓会に参加して来ました。

同窓会には、私達の入学式で全生徒のフルネームを179(いなく)てはならない存在とフルネームで呼んでいただいた米谷先生、ユーモア溢れる物理の授業が印象的で現在は入試広報部長をされている窪田先生、そして私達51期が最初の担当だった松本先生(私は松本先生のクラスでした。)にご参加いただきました。同窓会には昼の部よりも更に多くの70名の同期が集まりました。30年間一度も同窓会に参加した事がなかったり、転校した同期が参加してくれて、時計の針が30年前にタイムスリップしてしまったような楽しくて、不思議な時を過ごす事ができました。

今回、卒業30周年ホームカミングに参加する事ができて、3つ嬉しかった事を挙げるとするならば以下の3つです。

(1)長年会えなかった友人との再会を果たせた事。
(2)母校の進化を感じる事ができた事。
(3)自分自身が元気に参加する事ができた事。

フレッシュな高校生達を見ながら、当時、私自身は30年後の自分がどうなっていたいと考えていたのだろう?と当時の自分に語りかけていました。自分の将来像を描けずに漠然と有り余る力をラグビーに注いでいたような気もするし、また、日本国内だけで仕事をするイメージは描けず、海外で働きたいというボヤっとした夢を持っていたような気がします。

高校を卒業し、大学に入り、卒業後には商社に入社し、想像とはかけ離れた厳しい新人時代を乗り越え、多くの失敗や苦しい経験を経て(勿論、いくつかの成功体験もあり)起業を果たし、今のような仕事(生活)をしているとは想像もしていなかったでしょう。

私達は今年49歳を迎えます。
社会人としては、まだ若いという見方もあるのかもしれませんが、私自身はとても焦りを感じています。一つは体の健康です。残念ながら、高校同期の友人2人が病気で他界しています。社会人になってからの友人を考えると残念ながら他界した友人が数名います。50歳を間近に控え、心身共に健康である事が奇跡のように感じています。もう一つは事業の成長です。私は仕事をする上でまずは体力がないと気力も湧いてこない、気力が萎えてしまっては、知力も発揮できないと考えています。従って健康は、当然ですが、事業の成長のためにも最優先事項だと考えています。健康である事が少しづつ難しくなってくる年齢になってくる一方で(幸い今はとても健康ですが)私には55歳までに成し遂げなければならない夢があります。それは、
「日本の中小企業の世界展開の仕組みの土台を作る」というものです。今はこの夢に向かって毎日奔走できる幸せな日々を過ごしていますが、様々な観点で、いつどんな事が発生するか分からないという不安をいつも抱えている事も事実です。

確かな事は人生には限りがあって、時間はかなり限られているという事です。
30年前にはそのような実感は全くありませんでしたが、今では強くそう感じています。1日、1時間、1分、1秒を大切に過ごさなければならないと。

今回、ホームカミングに参加させていただき、様々な事に思いを寄せる事ができました。育ててくれた両親や家族、学校の先生方や仲間達、命を繋いでくれた祖先にも改めて感謝の気持ちを持って初心にかえって頑張ろうと思いました。

30年間の期間を経て、私達は様々な苦労や経験を重ねてきたと思います。
そして大井君が祝辞でも述べたように価値観も大きく変わっていると思います。
そしてこれからも変わり続けていくでしょう。
卒業生の皆さんにはそういった世の中の環境の変化に順応し、日本国内だけでなく、世界を舞台に活躍をして欲しいと願っています。

菱沼 一郎・記

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